2010年7月27日

未来会計part2

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
今年は特別に雨が多いように感じますが、体調はいかがでしょうか。
夏が待ち遠しいですね。

さて、昨年の9月号に「未来会計があなたの会社を元気にする!-ひばり税理士法人は経営計画と実績検討で黒字に貢献します-」というコラムを掲載させて頂きました。その後、みなさまの会社に未来会計は浸透してきましたでしょうか。

もう一度「未来会計」の復習をしてみましょう。

「未来会計とは、経営計画と業績管理で貴社の黒字に貢献するシステムです。景気の先行きが不安定な昨今、とくに静岡県東部・伊豆地方は厳しい状況におかれています。そのような状況の中で、それぞれの会社が未来を見つめ、目標を達成し、黒字化を実現する。」それが、ひばり税理士法人が考える『未来会計』です。

未来会計は具体的には次に4つのサブシステムから成っています。

1.経営計画システム

「経営計画なんて難しくて作れない」
「経営計画など作ってもその通りになる訳ではないので無駄」
などなどご意見は様々あろうかと思います。

しかし、経営計画は「会社の現状」を確認すると同時に、「なりたい会社の姿」を明確にするためには、
なくてはならないツールです。

2.業績管理システム

作成した計画と実績を比較し、どこが計画通りに進んで、どこが計画通りに進んでいないかを明らか
にします。計画を作っただけでは「絵に描いた餅」になってしまいます。計画と実績を比較することで、具体的な改善策が見えてきます。

3.情報提供システム

経営の舵取りには、さまざまな情報が必要になります。業界の動向は?人材の確保はどのようにすればいいのか?資金繰りはどのように行うか?貴社の経営に必要な情報をタイムリーにお届けします。

(つづく)

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2010年7月12日

速水高博税理士事務所との業務提携について

拝啓 盛夏の候 皆様方にはますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

このたび速水高博税理士事務所は、函南町に本社を置くひばり税理士法人と提携し、ひばり税理士法人三島北事務所として新たなスタートに立つことになりました。

私は常々現在の厳しい経済環境の中、事務所の経営資源を統合し、総合的に関与先皆様の経営のお手伝いをさせていただくことが必要と考えておりました。

7月1日より新体制となりますが、事務所体制は今までと同様速水が所長として事務所を経営して参ります。皆様方のご理解とご支援を頂けますようお願い申し上げます。

末筆になりましたが、皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

平成22年7月吉日
速水高博税理士事務所
所長税理士 速水高博


拝啓 盛夏の候 皆様方にはますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

このたび速水高博税理士事務所と業務提携させていただきましたひばり税理士法人代表 森一浩と申します。

今回の提携は、お互いの経営資源を統合し、幅広い分野で皆様方のお役に立ってゆきたいとの観点から決意させていただきました。今後はひばりグループ全体で皆様の経営のご支援をさせていただくこととなりました。是非ともご理解とご支援をいただきますようお願い申し上げます。

末筆になりましたが、皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

平成22年7月吉日
ひばり税理士法人
代表税理士 森一浩


※本件に関するお問い合わせは、下記までお願いいたします。
ひばり税理士法人 本社(函南事務所)
静岡県田方郡函南町塚本940-4
TEL:055-982-6001/FAX:055-982-6002
e-mail:hibari@tkcnf.or.jp
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2010年6月16日

仕事があるということ

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
私は退院して約1ヶ月が過ぎ少しずつですが仕事に復帰している最中です。

私は昨年12月暮れから、今年の4月いっぱいまで約4ヶ月間入院していましたが、その間、同室の人が少しずつ入れ替っています。

今回は、私が入院してから1ヶ月程後に入院してきた、H氏について書かせて頂きます。

私の退院日が決まったことを、H氏にお話しすると、H氏も6月末頃には退院できるということを教えてくれました。私は自分のことのように喜びました。H氏とは入院中いろんなことを話したこともあって、仲間のように思っていたからです。

「よかったですね。Hさん。僕も4月いっぱいで退院できそうです」といってお祝いの気持を伝えました。しかし、Hさんの表情はさえません。「どうかしましたか、Hさん。」気になってたずねると、Hさんは浮かない顔でこういいました。「いや、退院できるのはうれしいんだけど、退院しても仕事がなくてね。俺、ここに入院するときに仕事やめてきちゃってるから。」

「ええっ。ああ、そうだったんですか・・・。それは大変ですね。」と、とっさに言ってはみたものの次の言葉が出てきません。Hさんの年齢は正確にはわかりませんが、パッとみは50歳台後半です。言葉の端々からまだ働かなければならないという責任感がヒシヒシと伝わってきます。

しかし、現実は厳しいものです。確かに50歳台後半の男性に希望するような仕事があるかというと、現在の日本では首をかしげてしまいます。Hさんもそのことは充分わかっているのでしょう。「いえ、ぜいたくを言うつもりはありません。就職が厳しいこともわかっています。仕事があれば何でもやるつもりです。」と言ったあと、「森さんも何か心当たりがあったら、紹介してもらえませんでしょうか。ぜいたくは言いません。是非ともお願いします。」

私も正直言って、この職探しはかなり難しいだろうと思いました。しかし、Hさんは真剣です。Hさんから見れば年下の私にも頭を下げて、「お願いします。」と言うのです。きっと、色々なところに声をかけているのでしょう。そして、なかには「そんなの無理だよ!」などと簡単につき放されたりしているのでしょう。それでもHさんは色々なところに声をかけて、何とか職を探そうとしているのです。

(つづく)

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2010年5月22日

テレビが来る!

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

私は、昨年末(12月30日)からの入院生活にやっとピリオドを打つことができ、5月1日に退院することができました(イェーイ。パン、パン、パン、パーン←お祝いのクラッカーの音です)。

入院中は、お忙しい中お見舞いに来て頂き、また、たくさんの方からお見舞を頂きました。とても勇気づけられました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、標題の件です。昔はこういういい方をしましたね。文法的には「テレビが来る」というのは誤まっています。そりゃそうですよね。テレビがのこのこ歩いてやって来るわけないんですから。しかし、当時小学校四年生だった私からすれば、「テレビが来る!」というのはピッタリな表現でした。いつものように、めいっぱい道草をして、夕食直前の叱られるか、叱られないか、ギリギリの時間帯に帰ってきたら、そいつは、すでに居間に来ていました。格子のタンスのような家具の中に鎮座まします立派なカラーテレビでした。すぐにさわろうとすると、母親から「手を洗ってからにしなさい」と言われたような気がします。

このカラーテレビが来て一番うれしかったのは、チャンネルの変換がリモコンでできるということです。家のテレビがまだ白黒だった頃、チャンネルは手で回していました(きっと今の若い人には想像できないでしょうね)。そして、そのチャンネルの接触がすぐに調子悪くなって、画像が「ザー」という音とともに見られなくなってしまうのです。

そうなってからが職人芸の見せどころです。チャンネルを前の局と次の局とのちょうどまん中あたりでとめるのです。こうすると微妙なバランスで画面がよく映るポイントがあるのです。そのポイントを探り当てるのは私と弟の仕事でした。テレビがリモコンになってからは、この職人芸は不要になってしまいました。少し寂しい気もしますが、その方がいいですよね。だって、せっかく見たい番組があっても、テレビの調子の関係で見られないんじゃ、寂しすぎますもんね。

昔話が長くなってしまいました。今回テレビが来るというのは、もちろん2011年7月に従来のアナログ放送が見られなくなることについて、森家で相当すったもんだしたあげくのことです。私としては、まだ家にあるテレビが見られるのだからギリギリまで待っていれば、品質もよくて、価額も安いモデルが出てくるからもっと待つべきだとの意見でした。

ウチの大蔵省もその意見には賛成で、情報収集に努めていました。そうこうしているうちに、今使っているテレビの電源が突然入らなくなってしまったのです。15年間もの酷使に耐えて天寿を全うしたのです。もうこうなったら、一日も待ってはいられません。なにしろ一日中テレビが見られないのですから。

(つづく)

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2010年4月14日

仕事仲間

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みなさん、こんにちは。随分、お久しぶりになってしまいました。
今回は森が書かせて頂きます。
まず、昨年末から現在まで体調不良で皆様に大変ご迷惑をおかけしております。
深くお詫び申し上げます。

現在も入院中ですが、今月(4月)からは、仕事のリハビリも兼ねて、少しずつ事務所に顔を出し、5月半ばくらいには退院できるよう、リハビリに励んで参ります。さて、今回は仕事仲間について書いてみます。私の場合、仕事仲間というと税理士の同僚と職場の仲間ということになります。

まず税理士の同僚について。

私は生来の不精者で、他の人の病気療養中にはほとんど「お見舞」に伺うということをしませんでした。ところが今回、何人もの方が私の「お見舞」に来てくれて大変有難く思っています。会って何を話すという訳でもないのですが、とりとめのないことをしばらくしゃべって、「じゃあ、森ちゃん。早く良くなってね!」と言っていただける。本当はとっても忙しい方々なのに、わざわざ時間を割いていらして頂ける。そういったことがとても有難いのです。

「仕事一筋で来た人間にとって、仕事をすることが出来ないということがどれだけ苦しいことか」
入院した今となっては、私にもよくわかります。しかし、入院したことのない人にはこの苦しさはなかなか理解できないと思います。では、「お見舞」に来てくれた方が全員、入院したことがある人々かというとそうでもないと思います。

もちろんなかにはご自身も入院経験があって「お見舞」に来て下さる方もいらっしゃるでしょう。しかし、一度も入院したことなどないという方も多いと思います。では、なぜ自らが一度も入院経験がないのに、お見舞に行こうという感情が湧き起こるのでしょうか。このことは、私にはよく分かりません。ただ、一ついえるのは、これらの人は損得抜きに、人の痛みを自らの痛みとすることができるすばらしい人達だということです。「仲間が病気で苦しんでいる」その痛みを自分自身の痛みとして感じることができる人達なのですね。

次に、職場の仲間について。
こちらは税理士の同僚と比べると微妙です。それこそ、朝・昼・晩と顔をつき合せて、自分の子供より会ってる時間が長い人達です。ある意味、家族と同じくらい信頼し合っている仲間です。そうなると、例えば自分が入院した場合、「当然、見舞に来るだろう!」という気持が湧き起こります。しかし、私共のような規模の事務所で全員が全員見舞に行くとなると仕事がおろそかになってしまう危惧が生じます。こうなるとお客様にも迷惑をかけてしまい、本末転倒です。このような場合には、社内である程度のルールを決めておく必要が出てきます。

私共の事務所の場合には、入院する場合は数人ずつまとめてお見舞に行き、その後はいかないというルールにしました。そんなことまでルール化するのかとお叱りを受けそうですが、こういったことはわりと細かいことまでルール化しておいた方が、後々のトラブルが少なくなります。「あの人のときには、みんなでお見舞に行ったのに、私のときにはさっぱり来ない」なんて言う人はいないだろうと思いますか?いやいや、そこまで考える必要は充分あると思います。 

(つづく)

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2010年3月17日

●会長税理士・相原コラム●鉄道で行こう-最長片道切符の旅-

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最長片道切符というものをご存知ですか。

これは全線JR(鉄道・バス・船)で日本全国を廻るというものです。同じ駅を2度通過してはいけません。いわゆる一筆書きでしかも乗車距離が一番長くならなければいけません。過去、何人かの鉄道マニア(テツキチ)が実践しています。どれが最長かは知りません。それというのも新しい線ができたり廃線になったりで変わるからです。

この世界では有名な宮脇俊三さんが挑戦した旅行記を読みました。宮脇さんは、昭和53年10月13日から同年12月20日までの69日間。起点は北海道の広尾駅終点は鹿児島県の枕崎駅、乗車キロ数13,319.4キロでした。ちなみに宮脇さんは、このほか当時の国鉄全線も乗っています。(完乗)

僕にはとてもこんな真似はできませんが、僕も父親に似て鉄道が好きですので、できるだけ多くの線に乗りたいと思っています。

県内のJRは完乗しました。JR以外の天竜浜名湖鉄道(以前は国鉄二俣線)と遠州鉄道が未乗なので近いうち乗車してきます。あと御殿場線が山北から国府津まで未乗です。

山北には叔母が嫁いでいましたので祖母に連れられて何回か行きました。まだ御殿場線は蒸気機関車で下土狩駅を出て御殿場まで急な上り坂を喘ぎながら走っていったものです。たしか岩波がスイッチバック式だったはずで一旦戻ってまた上がって行くのが面白かった。またトンネルが大変で、真夏でも入ると同時に窓を閉めるので熱気と隙間から入り込む煤でそりゃもう大変だったもんです。

御殿場線が東海道本線として花形だったのは昭和9年まで。丹那トンネルが開通するとローカル線に格下げ、名称も御殿場線となった。複線も単線になってしまった。

ちょっと一服。ここで少し歴史の勉強をしましょう。

今から約125年前。時の明治政府は明治17年(1884年)東海道線建設を決めた。当初は今あるように熱海から箱根越えであった。ところが当時の技術では鉄道敷設が困難であったため、明治19年に御殿場廻りに変更することとなった。そして、三島に鉄道が来なくなり三島宿は急速にさびれた。

なんとか三島に駅を作ろうと請願を繰り返していた折りもおり、東京の小山田信蔵等が豆相鉄道会社を設立した。目的は小田原から熱海まで鉄道を敷くことであった。ところがこれも難工事が予想されたため計画を変え、沼津から三島町を経て大仁までということになった。これを知った三島は起点を沼津から三島に変えてくれるよう会社に陳情した。

会社に大変有利な条件を出して念願の三島停車場ができた。今の下土狩駅である。鉄道は豆相鉄道といった。それで鉄道唱歌にあるように「三島は近年ひらけたる豆相線路のわかれみち・・・・・・」というように初め三島停車場はなかったのである。

年表をめくってみると

 明治22年(1889年)  東海道線開通
 明治31年        豆相鉄道 三島町(現田町駅)-南条(現伊豆長岡駅)開通
 同年           三島町より三島停車場(現下土狩駅)まで延長
 明治32年        大仁まで延長
 
こうして三島の町に鉄道が走ることになったのである。

開通当時は蒸気機関車であった。

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この煙突から吐き出る煙に火の粉があってその火の粉が飛んで沿線で火事が起きたと聞いている。現在の大場駅三島寄り付近。

豆相鉄道は開業6年で倒産し、その後伊豆鉄道が買収し、さらに駿豆電気鉄道㈱が買収した。この駿豆電気鉄道は沼津-三島間に「チンチン電車」を走らせていた。また、一時三島市内に路面電車も走らせていた。田舎の町で市内電車とは全国でも珍しかった。

後に駿豆鉄道と改称し、昭和32年(1957年)伊豆箱根鉄道と名称を変更して現在に至っている。 

(おわり)

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2010年2月10日

●会長税理士・相原コラム●立春余談

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☆新聞の報道によりますと、西武百貨店沼津店が早ければ11年2月期中にも閉鎖するとのことです。

西武百貨店が沼津に来たときは、一流百貨店が来たということで沼津の地位は大いに上がったものでした。西武の包装紙がもてはやされました。

それがついに閉鎖。沼津西武よお前もかという感じです。時代の流れでしょうね。

今、全国の百貨店が閉鎖を強いられています。京都の河原町阪急、札幌の三越専門店ビル「札幌アルタ」、西武の有楽町店等々。

沼津では既に丸井も撤退しており、駅前再開発で建てた「イーラ」も営業不振。また商業とは関係がないがJR沼津貨物駅の存続について県知事が不要論を述べるなど地盤沈下が続いている感じがします。

昔は県東部の中心都市として大層羽振りがよかったものでしたが。


☆日本国の借金はいくらあるとお思いになりますか。2010年末の見通しでは973兆円とされています。これは赤ん坊からお年寄りまで国民一人あたり763万円に相当します。

ところで借金に苦しんで自らの命と引き替えに返済をしようとする人の平均的な借入金額は700万円といわれております。この辺の金額が一番苦しいのだそうです。


☆自殺をする人が毎年3万人以上と交通事故死よりも多い異常な事態が続いています。自殺は人間だけで動物はしません。なぜなら動物は脳が発達していないからです。人間は脳を発達させて文明を築き上げてきました。同時に悪いこともしていますが。

地球が誕生してから46億年。人類の祖先の誕生は最大でも僅か700万年前。地球の誕生から現在までを1年間にすると(進化カレンダー)、人類の誕生は12月31日の11時頃です。さらに今の我々の祖先であるホモ・サピエンスが誕生したのは12月31日の23時37分頃になります。

だから我々は長い地球の歴史から見ればまだほんの僅かな時間しか経っていません。それなのに目先のことに一喜一憂したりすることは全く取るに足らないこと。

しかもこの僅かな時の流れのなかで何度戦争を繰り返したことでしょうか。今も戦っている地域があります。日本の近くにも気違いみたいな国があります。もっとも日本でも豊臣秀吉は朝鮮侵略をしたのでおおきいことは言えませんが。

どうして人間は戦いをするのでしょうか。

人間は樹木から降りて地上で暮らすようになり、直立2足歩行となり、脳を発達させ言語もしゃべるようになりました。

最初にアフリカで生まれ、やがて全世界に拡がったという説が今では有力です。

日本へは4~3万年前にやって来たと言われています。

縄文時代の人々は狩猟が中心でした。そのころは人口も少なく共同生活で戦争はなかったといいます。それが弥生時代になり、稲作を中心とする農耕社会になると集落を作り、田(土地)が必要となった。人口も増え、少しでも多くの収穫を得ようと他の集落を襲って土地を奪うことが始まった。つまり食糧の確保。これが戦(戦争)の始まりの主な原因だと言われています。勿論単純にこればかりではないでしょう。例えば闘争本能や野望、宗教など。

縄文時代の人骨には戦争で殺されたような痕がない。ところが弥生時代の人骨には矢じりが刺さっていたり武器でできた傷が残っていたり、また首を切られた遺骸もあるといいます。考古学の立場から言うとそうなるそうです。本当の話です。

本当にこの世から戦争など無くなればよいのにと、素朴にそう思います。そうすれば沖縄の米軍基地要らない、アフガニスタン、イラクも平和になる。

僕は1942年12月生まれで太平洋戦争は全く覚えていません。戦後の辛い一時期がありましたが、田舎に住んでいましたから都会の人の辛苦に比べたらはるかに楽ではなかったかと思います。

67年余の人生の殆どを戦争もなく徴兵制度もない日本で生きていることを大変幸福に思いそして感謝しています。

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2010年1月19日

●会長税理士・相原コラム●父のこと

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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
毎年1月は僕のお便りの葉書はお休みですが今年は事務所ニュースの所長のスペースをいただきましたので書いております。

年末年始になるとよく父のことを思い出します。父は平成元年(1年)1月11日午後11時に亡くなりました。まさに1づくしで非常に覚えやすい。

もうじき22年になります。
74歳でしたから今の時代では早いほうだと思います。ちなみにその4年後にやはり74歳で母が亡くなっています。

父は若いときから旅行が好きでした。それも一人で列車に乗って。

しっかりした旅館・ホテルに泊まるのではなく、安い宿、時には駅のベンチに寝たりしたようです。

毎年、会社が仕事納めになると大晦日まで旅行に出かけます。

元旦には一旦帰ってきます。

家族で新年を祝い、お雑煮を食べその日はお休み。翌2日からまた旅行に出かけます。

そのおかげで僕は中学生の頃から年末の餅つき、大掃除をやらされ、正月には親戚への年始回りをやっていました。

実は父は一度餅つきをやったことがあるんです。その時、餅をつかずに臼をついてしまった。杵と臼が傷つき、それ以来2度と餅つきはしなくなったのです。それでお前やれということですか。

年始回りは、僕が中学生になったからもう代わりができると思ったのか僕にさせて自分は年始旅行に行ってしまいました。

餅つきはともかく年始回りは嫌だったですね。三島市内と近辺7~8軒ですけど。いちいち「父が旅行中なので」と断って年始のあいさつをして回ったものです。

今は相手の世代も変わったりで全部の親戚を回りません。今年は喪中の家があったりして2軒だけでした。これからはだんだんしなくなるのでないでしょうか。

餅つきも電動餅つき器になりました。

草葉の陰から父は何と思っていることか。


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2009年12月15日

道具

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
一年の経つのは早いもので、もう師走です。今年は暖かい日が多く十二月という感じがしませんが、それでも長年の習い性からかなんとはなしに気ぜわしく感じます。

さて、今回は道具というテーマで書かせて頂きます。
また釣りの話で恐縮ですが、先日釣りに行った時のことです。朝六時に出船し、ポイントに到着したところで、船長の合図とともに釣り開始となりました。

ご存知の方も多いと思いますが、釣りは「朝まづめ」、「夕まづめ」、といって日の出前後、日の入前後が一番釣れる時間帯です。朝六時に出船した私たちは、当然「朝まづめ」を狙うことになります。ここで一匹釣れるかどうかで、その日一日余裕を持って釣りができるかどうかという大事な時間帯です。

出船してからポイントに着くまでは、結構忙しく準備を整えます。それもこれも、この「朝まづめ」の時間帯にスムースに釣りをするためなのです。釣りをやったことのない方は、釣り人というと、ゆっくり流れる川辺で、こっくりこっくり居眠りしながら釣り糸を垂れている太公望を思い浮かべるかも知れません。しかしながら、現代の釣りはそのような悠長なものではありません。釣れる可能性の高い時間帯にすべての準備を整え、集中して釣るのです。その意味では、一瞬にして勝負が決まってしまう剣術や柔術に近いものがあるかも知れません。

まあ、そんなに恰好の良いものではないとしても、その日の第一投はかなり重要です。満を持して全員で仕掛けを投じました。

あれっ。一人だけ仕掛けが落下しない人がいます。おかしいなぁ。なんで仕掛けが落ちていかないんだろう。リールのスイッチが入らないのです。電源はつながっています。その証拠にリールのメーター表示は0mを示しています。しかし、何度押してもメインスイッチが入らないのです。

全身から油汗がふき出してくるのを感じます。実際、いやな予感はありました。今回、私は三ヶ月前に釣りに行って以来、忙しさにかまけて一度も道具の確認をせずにいきなり本番に望んでしまったのです。このことが釣りを始める前に気になってはいました。普段なら必ず、釣行前にリールをバッテリーにつないで動作を確認するのですが、今回はそれを怠っていました。

後悔の念がこみ上げてきますが、どうにもなりません。二十回程スイッチを押し続けましたがウンともスンともいいません。半ベソ状態で隣にいる釣り仲間のホリさんに、「リールのスイッチが入らないよぉ~」と助けを求めました。ホリさんも心配してくれて、「そおか。それじゃ手動に切り替えたら」とアドバイスをくれました。「そおだ。その手があった。」さっそく、手動に切り替えようとしましたが、手動に切り替えるレバーが見当りません。私のリールは、「SEABORG Z500FT ULTRA FREE」という最上級モデルでありますからして、もともと手動などという概念はないのでした。

予備のリールも持っていましたが、取り出してみると整備不良でとてもすぐに使える状態にありません。仕方なく船長に、「リール貸してもらえませんか」とお願いしてみました。やさしい船長は、「手動のリールならあるよ」といってくれましたが、今日の棚は30m~70mと比較的深い所を狙うので手動ではとても体力が持ちそうにありません。

情けないやら、悔しいやらで、「今日はもう釣りやめちゃおうか」という最悪の選択肢が脳裏をかすめました。気を取り直して、つないでいたコードを一度はずし、もう一度つなぎ直しました。それでもスイッチは入りません。しかし、いつもよりバッテリーのパワーが弱いように感じました。原因は、リールのスイッチの不具合だとばかり思っていましたが、もしかしたらバッテリーの充電が不充分なのかも知れません。天に祈るような気持で、船長にバッテリーを借り、もう一度つなぎ直してみました。その直後、今までウンともスンともいわなかったリールが突然息を吹き返したように反応してくれたのです。リールは見事に生き返ってくれたのです。

ああ、よかった。これで釣りができる。十数分の遅れをとった私は、その後まさに一所懸命に釣りに没頭したのでした。そのおかげで、50cmクラスのイナダ4本、マダイ2枚、大サバ2本とすばらしい釣果を上げることができたのでした。めでたし、めでたし。

って、これじゃ小学生の作文ですね。私の言いたいのはそんなことじゃないんです。道具です。道具。今回のことで、はっきり分かりました。私は道具に頼り切っているのです。しかも、ハイテク機器に。

みなさんも経験ありませんか?パソコンが動かなくなったこと。その時、ものすごくイライラしますよね。携帯電話を洗濯機で洗って壊してしまったことはありませんか?今まで蓄積した電話番号が全部パーになって、青ざめたこと。車が踏切でいきなりエンストを起こしたことはありませんか?何度キーを回してもエンジンがかからない恐怖を。

(つづき)

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2009年11月17日

きっぱり断る

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
だいぶ寒くなってきました。インフルエンザは大丈夫でしょうか。
先日、医療関係の方とお話ししていたら、「新型インフルエンザかどうかは、熱が出てから12時間経過しなければ判らない」のだそうです。ですから、熱が出てすぐに病院に行っても、「結局、また来て下さい」となってしまうとのことでした。だとすると、熱が出てから12時間我慢してから行けばよいのですが、小さな子供ですと心配ですよね。何とかならないものでしょうか。

さて、先月中旬から今月初旬にかけて、私は大変忙しい状況にありました。
忙しいといっても、仕事ではなくプライベート、要するに遊びで忙しかったのです(ごめんなさい)。
10月10日、高校の同窓ゴルフ大会の幹事の打合せと称する飲み会、
10月11日、ゴルフ大会の景品集め、
10月13日、同景品集め、
10月19日、高校の後援会に関する研修(東京)、
10月21日、同窓ゴルフ大会、
10月23日、関与先のゴルフ大会、高校PTAの役員会兼懇親会、
10月24日、親戚の子の結婚お披露目、中学校時代のクラス会、
10月27日、高校後援会の委員会兼懇親会、
10月28日、中学時代の友人の追悼ゴルフその後偲ぶ会、
11月3日、地元神社の秋祭り。

お前は、いつ仕事してたんだとお叱りを受けそうなスケジュールでした。
しかも、この間に「ぎっくり腰」を1回患っていますので、10月23日のゴルフから11月3日の秋祭りまでは、全くの役立たずで、我ながら何をやっているのだろうと一人夜空を見上げて涙してしまいました(ウソです)。

ハードスケジュールをこなして冷静になって考えますに、私は何でもかんでも役職を安易に引き受けすぎているのではないかという疑念が持ち上がりました。頼まれると断れないというのは昔からの性分です。最近はそれでも、自分ではだいぶ控えているような心持ちでおりましたが、先日ある人から指摘されて「ハッ」としました。

それは、秋祭りが終わって一息ついていた時です。
友人から11月21日に高校同窓ゴルフ大会の反省ゴルフ会と反省会を幹事をやってくれた人を集めてとり行なうとの内容です。何かの大会をやったあと幹事で反省会をやるというのはよく聞く話ですが、ゴルフ大会のあと反省ゴルフ会をやるというのは、随分丁寧だなあとは私も思いました。そう思って逡巡している時に、すかさずある人から「その日は私が出掛けるからダメ」と指摘を受けたのです。

そして、その後数十分に渡って厳しい指摘を受けました。私の一番悪いところは、その場できちんと断らないであいまいな態度をとるということでした。その件について叱られている最中、別件で二点ほどの指摘を受けました。

一つは、今回やった中学校時代のクラス会は、本当は私が幹事だったはずであり、私がちっとも開催しないからしびれを切らして他の人がやってくれたのであり、私はその人たちに感謝しなければならないのであり、また、前回のときにあいまいな態度できっぱり断らないからそうなったのであり、ひとえに私の責任であるというご指摘。

もう一つは、秋祭りの最中に柏久保区の総務をやっているUさんがやって来て、「来年は横丁組(私が所属している組です)から総務を出してもらいたいんだけど・・・」と私とSさんに向かって話をした件について、あなたそんなことできると思ってんの?総務っていったら1年に100回は出なきゃならないのよ。できるわけないじゃん。だいたいあんたはいつでも、煮えきらない態度できっぱり断らないからそうなったのであり、ひとえに私の責任であるというご指摘。

いや、おっしゃるとおり。おっしゃるとおりでございます。
しかし、総務の話は、私に言ってきたのではなく、「横丁組から出してもらいたい」と言っているのであり、しかも、私だけにそのことを言ってきたのではなく、むしろ、Sさんに向かってUさんは話しているように私には感じられたのです。したがって、私がその場で「その話はお受けできません」などと横丁組を代表して答えられるはずもなく、「はぁ、そうですか」とあいまいな態度を取るしかなかったのです。      

(つづく)

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