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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
以前、私の書いている「KFSのネタ」というメールマガジンで、フランスの詩人アンドレ・ブルトンさんのことを紹介しました。以下は、ブルトンさんがニューヨークで物乞いをして暮らす盲人のために書いた言葉です。


「春はまもなくやってきます。でも、私はそれを見ることができません。」※


ものすごく切ない言葉ですが、経済に関していえば日本じゅうが、いや、世界じゅうの人々がこんな気持でいるのではないでしょうか。

でも大丈夫ですよ。春は必ずやってきます。だって、今まで一度たりとも春が来なかったことなんかないじゃないですか。いや、もっと言えば人間の幸せは経済的な豊かさでは測れないのですから、憂いてばかりいても仕方がありません。

このあいだ参加したセミナーで、講師の竹内謙礼さんがこんなことを言っていました。

「今は、『勝ち組』か『負け組』かという分類は意味がない。
必要なのは『やる組』か『やらない組』かという分類だ。
経営のABCというのを知ってますか。
『あたりまえのこと』を、『バカにせず』、『ちゃんとやれ!』」

とのことでした。
確かに、一番悪いのは、「うじうじと悩んだあげく何もしない」ことですよね。自分にできることを淡々とやってゆきましょう。

先日、お客様の運送会社でこんなことがありました(仮にA社とします。数値等は実際とは変えてあります)。

運送会社もこの不況の例にもれず、昨年の11月頃から売上が減少しています。A社の11月、12月の売上は前年のおよそ15パーセント減です。また、今後の売上予測をしますと、さらに20パーセント程度減少するのではないかとのことでした。例えば、売上が2億円だとすると、15パーセント減で1億7,000万円、さらに20パーセント減で1億3,600万円です。

これだけでも苦しいのに、さらに大口の取引先から7路線のうち利益の出る3路線を自社配送に切り替えるとの通達を受けてしまいました。この3路線で売上が月250万円程ですから、年間3,000万円の減収となります。結局、A社の売上は1億円程度まで落ち込んでしまうことが予想されます。

これらの対策を練るために緊急の幹部会議が開かれました。
幹部の方々はひとしきり現在の窮状や不満を口々に話していましたが、これといった解決策もなく途方に暮れていました。ずっと黙って聞いていた社長が、開口一番次のようにおっしゃいました。

「今は、本当に苦しい。先も見えない。規模の縮小もやむを得ないかも知れない。でも、なるべく従業員をやめさせない方向で対策を考えてくれ。今、苦しいからといって従業員をやめさせたら、従業員はどこにも行き場がない。それこそ食べて行けなくなってしまう。今まで一生懸命に働いてくれた人たちをそんなふうに扱いたくないんだ。」

これを聞いていた幹部の方々の顔がみるみる紅潮してゆくのが見てとれました。「こんな状況だから、人員整理はやむを得ない。もしかしたら自分も人員整理の対象になるのではないか」と戦々恐々としていたのだろうと思います。

社長の発言の後は、前向きな発言がとび交いました。いつもは、新しいことをやろうとすると二の足を踏む幹部からも、「そうだ、今はできないなんて言ってる場合じゃない。とにかくやってみよう」という発言も聞かれ、対策もどんどん具体的になってきました。

前向きな対策といっても、こんな時期ですからできることは限られています。幹部会議で出された対策は以下のようなものでした。   

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
2月は寒い日が多かったのに、3月の声をきいたとたんに暖かくなってきました。もう、春ですね。


さて今回は、私がPTA会長をしている、韮山高校の卒業式での祝辞を掲載したいと思います。自分ではこの原稿、大変気に入っているのですが、ご来場の皆様が、万一、私の話をちゃんと聞いてない可能性もありますので、ここに掲載させて頂きます。従って、これは決して手抜きではありませんので、念のため。


「みなさん、こんにちは。PTA会長の森と申します。三年生の皆さん、本日は卒業おめでとうございます。私からは、皆さんに三つの言葉を紹介して、お祝いの挨拶といたします。


まず、最初は『5000時間』という言葉です。5000時間というのは専門家になるための時間です。専門家になるためには、5000時間の集中的訓練が必要だということです。東京大学教授などを歴任された野口悠紀雄さんは、外国語を支障なく使えるようになるために必要な勉強時間は、4000時間から5000時間と述べています。また、将棋の米長邦雄さんは、プロになるには5000時間の集中的訓練が必要だ、と言っています。


では、この5000時間というボリュームはどの程度のものでしょうか。一日10時間。土曜日、日曜日以外は毎日勉強するとして、一年間で大体250日。そうすると、一年間で2500時間。それを二年間続ける、ということです。『5000時間』。君たちが、『よおし、一丁専門家になってやる!』と決心したときのために、この言葉を贈ります。


二つ目は『深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない』という言葉です。


これは、沼津出身の明石海人という人の言葉です。海人は、教師となり二人の子供をもうけますが、24歳のこれからというとき、当時不治の病と恐れられた、ハンセン病をわずらいます。それからは、故郷を捨て、名前を隠し、ひとり隔離されて闘病生活を送り、37歳でその短い生涯を閉じました。これは、そのときに書いた歌集『白描』の序文にある言葉です。深海はまっくら闇です。どこにも光はありません。ですから、そこに棲む魚は、何もしないでいると、何者にも気づかれることなく、その一生を終えることになります。


このことは、私たちにも当てはまります。自分から動かないで、人が何かしてくれるのを待つだけでは、何事も起こらないし、誰も気づいてさえくれません。希望というのは、自分の内面にあるエネルギーを自分自身で燃やしたときに、はじめて見えてくるものです。『深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない』。君たちが、ひとりぼっちで、希望を見失いかけたときのために、この言葉を贈ります。


三つ目は『粗にして野だが卑ではない』という言葉です。これは、西伊豆、松崎出身の石田禮助さんの言葉です。石田さんは、三井物産に就職し、35年間の在職中28年間海外で勤務し、代表取締役まで勤めた国際人です。その後、国鉄総裁に就任しますが、これは、国会での総裁就任挨拶のときの言葉です。

『粗にして野だが卑ではない』の、粗とは粗雑でおおざっぱ、あらけずりということです。野(や)とは野育ち、田舎者ということ。卑ではないとは、卑怯なことはしない、卑屈な人間ではない、ということです。私は、韮山高校のことを想うとき、いつもこの言葉が胸に去来します。校訓『忍』の精神。『文武両道』の生き方。これらが、130年の時をこえて、卑屈になるな、正々堂々と生きろ、と語りかけています。

確かに、韮山高校は、田舎の不便な場所にあります。しかし、このすばらしい自然環境の中で、君たちが授かった教えは、長い伝統に磨かれた一流のものです。『粗にして野だが卑ではない』。君たちが、落ち込んで、劣等感にさいなまれたときのために、この言葉を贈ります。

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
いやぁ~秋ですねえ。いま時分の空の色はとっても透きとおっていて、さわやかで気持ちのよいものですね。木陰で寝ころんで一日中空の色を眺めていられたら、他にはなんにもいらない心持ちになれますね。

先月、藤原正彦さん竹中平蔵さんの講演を聞く機会がありましたので今回はそのことについて書いてみます。

藤原正彦さんの講演で一番面白かったのは、世の中は平等じゃないということを説明するのに「世の中は平等では決してありません。それは私とキムタクに対するご婦人方の態度を見れば歴然です」という例を出して説明されたことです。

これには頷かざるを得ませんでした。藤原さんの顔写真を見たことのある人ならばわかっていただけると思いますが、実物もまさにそのとおりの風貌でした。

藤原先生を駅から会場までお出迎えした人の話によると「藤原さんはお出迎えに行っても挨拶ひとつしない、会場までの車中でも一言もしゃべらない、大学の教授だからとんでもない常識知らずだと思ったんだけど、講演の内容はすばらしい。一言もしゃべらないのはきっと、ものすごくシャイな人なんだね」と評していました。

次に感心したのは、「いじめ」問題に関しての話です。
こちらは、藤原先生の著書「国家の品格」から引用します。

「いじめを本当に減らしたいのなら、『大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である』ということを、叩き込まないといけない。たとえ、いじめている側の子供たちが清く正しく美しくて、いじめられている側が性格のひん曲った大嘘つきだったとしても、です。『そんな奴なら大勢で制裁していいじゃないか』というのは論理の話。『卑怯』というのはそういう論理を超越して、とにかく『駄目だから駄目だ』ということです。この世の中には、論理に乗らないが大切なことがある。それを徹底的に叩き込むしかありません」。

私が子供の頃にも「いじめ」はあったと思います。そして「卑怯を憎む心」もわずかながら残っていたように思います。今の子供たちは、この「卑怯」という言葉を忘れてしまっているかのように見えます。ここは一番、親父が「そんな卑怯なことはするな」と一喝して、バーンとぶん殴りましょう。子供が小さいうちに。

竹中平蔵さんの講演は「福田首相になっても、小泉流の改革を押し進めるべきだ。改革を押し進めることによってのみ経済成長を維持できる。経済成長なくして財政再建も国家の繁栄もあり得ない」という内容だったと思います。だったと思いますというのは、前夜の酒のせいで記憶がところどころ(又はほとんど)失われていることによるものです。

こちらの話は、私としては違和感を覚えるものでした。
確かに言っていることはそのとおりで、論理もきちっと通っているのですが、あまり魅力を感じないのです。経済成長を押し進めた後の私たちの生活が、いまよりもっとよくなっているのかということを考えると、どうもそうならないように思うのです。

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
天気予報のお兄さんが言うのには、今年はカラ梅雨だそうで、始まりが遅く終りが早く、水不足が今から心配とのことです。梅雨の期間が短くても、その間に集中的に降ってくれれば良いのでしょうが、何か熱帯雨林のスコールみたいで、風情がないですね。

ところで、みなさん、最近感動してないなぁと感じることはありませんか。
私は、脳科学者で「NHK仕事の流儀」のキャスターを勤める茂木健一郎さんの「感動する脳」という本を読んでいて、つくづくそう思ってしまいました。

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以下は同書からの引用です。

「たとえば多くのビジネスマンが、『この頃感動するような出来事に会わないなぁ』と呟きます。面白いことに、会社での評価が高い優秀なビジネスマンほどこの言葉を口にしたりします。どうしてそういう傾向が表れてくるのでしょうか。

...中略...

彼らの周りにも、感動の種はたくさん落ちています。映画や音楽ももちろんそうだし、移りゆく季節や風景の美しさも充分に感動を生み出すものでしょう。しかし、優秀なビジネスマンたちは、そういうものを一切排除しようとする。感動の種を決して拾おうとはしない。なぜならそれらは、仕事の目的のためには全く必要がないと判断するからです。せっかく無意識がつかんでいる感動の種を、強烈な意識で抑圧してしまう。せっかく神が与えてくれた脳を使うことなく過ごしている。何ともったいないことでしょう」

よかったですねぇ。みなさんも私も優秀なビジネスマンだったんですね。

て、そんなことで喜んでいる場合ではありません。問題は、二十世紀最大の天才科学者アインシュタインの「感動することをやめた人は、生きていないのと同じことである」(前掲書)という言葉です。これによれば、私達は「すでに死んでいる」(by ケンシロー)ということになってしまいます。

さらに、「意欲のないところに創造性は芽生えない、創造性のないところに感動というものはやってこない」(前掲書)。

そして、「創造力=体験×意欲」(前掲書)だとすると、体験は歳をとるごとに増えてゆく訳だから、子供なんかよりも私達のほうがよっぽど創造力が増し、よりたくさんの感動を味わえるということになるはずです。

しかし、残念ながら子供達のほうが私よりもよっぽど多くの感動を味わっているように思えます。どうしてそうなるのかというと、意欲が歳をとるにつれて減退してゆくからです。

では、どうして歳をとるにつれて意欲が減退してゆくのか。
茂木さんによれば、「意欲は特別なものではなく、ごく当たり前に人に備わっている」のですが、「生きる上で避けることができない不確実性は歳をとるにつれ滅ってゆく」。

つまり、「生きる意欲は、先が見えない、何が起こるかわからない、どうなるかが決まっていないからこそ湧いてくる」のですが、私達のような立派な大人は「新しいものなどなにもないと脳が勝手に思い込んでいる」ために、「どうせ明日は、今日の延長線に過ぎない、もう世の中には知らないことは何もないし、また知ったところで大した意味はない」という悟りにも近い境地の中で日々暮らしているからなんですね。