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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
今日は、せっかくの休日なのに朝から冷たい雨が降っていて、外出する気分にもなれず家で一人寂しく原稿を書いています(もちろん家内は、お出かけしています)。

何を書こうか思案していたら、突然、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」が浮かんできました。以下引用します。

「雨ニモマケズ」

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノノ
 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
 南ニ死ニサウナ人アレバ
 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒドリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ
 
ウィキペディア 外部リンク 雨ニモマケズ 宮沢賢治 (青空文庫)より引用

宮沢 賢治(1896年-1933年)
作家。農業技術指導、レコードコンサートの開催などの活動をし、農民の生活向上を目指す。「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」などの著作がある。


改めて読んでみると、すごい詩ですね。
特に「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とありますが、これは真似できませんね。大体こんな食事ばかりしていたら栄養バランスが悪くて、体を壊してしまいます。もっとも私も病気をしてから体重コントロールに気をつかうようになり、以前のように暴飲、暴食には気をつけるようになりました(自ら進んでそうなったのではなく、厳しい指導があったお陰ですが・・・)。

次に、「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓(カヤ)ブキノ小屋ニヰテ」とありますが、今はこんな小屋に住んでいる人はほとんどいませんね。私が小学生の頃までは、橋の下に板きれなどで作った小屋に住んでいた人がいましたが、今はそういう人も見かけなくなりました。きっと生活保護を受けて、当時よりも余程環境の良い所で生活できるようになっているのだと思います。 

(つづく)

親子旅

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
梅雨の晴れ間には、太陽の日差しが厳しくなってきました。もう少しで夏本番ですね。

さて、7月の16日、17日の二日間、仲良くさせて頂いている大先輩のTさんと「東北夏祭り2日間」というパック旅行に参加してきました。

旅程は、浜松、掛川、静岡、新富士、三島の各駅から東海道新幹線に乗り、東京駅で東北新幹線に乗り換えて、仙台まで行きます。そこで、バスに乗り換えて会場近くまで行き、パレードが始まるまで時間を潰して、午後五時から午後七時までメインイベントのパレードを見学して、その日は蔵王温泉に泊まります。

二日目は、世界遺産に指定された平泉の中尊寺を見学し、その後バスで松島に行き、松島の景色や瑞巌寺を見学して、仙台から新幹線で帰ってくるという旅行です。

この企画は、今年初めての企画で、東北6大夏祭りが仙台に集まり、一度に6大祭り全部を見ることができる大変お得な企画です。

ところでみなさんは、東北六大夏祭りがいくつ言えるでしょうか。いきなり質問されてもちょっと困りますね。次を読む前にちょっと指折り数えてみて下さい。

まず青森の「ねぶた祭」です。これは、誰でも知っていますね。

次は秋田「竿燈まつり」。これは長い竹に提灯を沢山つけた竿燈が何本もねり歩く祭です。

三つ目は、盛岡「さんさ踊り」。一万太鼓の群舞です。

四つ目は、山形「花笠まつり」。「ヤッショ、マカショ!!」と花笠を手にした踊り手がねり歩きます。

五つ目は、仙台「七夕まつり」。色鮮やかなぼんぼりの下に鯉のぼりの「吹流し」のようなものが風になびいて涼しげです。

六つ目は、福島「わらじまつり」。長さ12m、重さ2tの大わらじを奉納した後、わらじ競争、わらじ踊りなどが行われます。

いかがですか、いくつ言えましたでしょうか。全部言えたら、相当な「祭り」好きですね。これらのお祭りが一堂に会するのですから、これは「お得」です。いやが上にも気持ちが盛り上がります。

会場近くのデパートで時間を潰して、「いざ出陣」とばかりに街に繰り出しました。いや、繰り出そうとしました。しかし、デパートから出たものの、全然前に進めません。この時すでにものすごい人混みになっていました。

それでも何とか前に進もうと頑張りましたが、お祭り会場まで全然近づけません。後で新聞を見て驚いたのですが、実行委員会は、二日間の来場客を10万人と想定していましたが、実際の来場客は約36万人だったとのことです。いやはや、人が多すぎて出し物もよく見えず、「押すな!」「押すな!」の怒号が飛び交う中をやっとのことで、人が少ない所に避難しました。

集合時間まで時間を潰して、やっとのことで蔵王にある旅館までバスで送り届けてもらいました。旅の疲れが一気に出て、さっそく風呂に向かいました。湯船は、乳白色でとても気持ち良さそうな温泉です。さっそく、桶に湯を汲んで体にかけようとしましたが、熱すぎてかけられません。何度かトライしてやっと腰まで浸かることができました。

ゆっくり入っていられないので、すぐに出て、今度は露天風呂に入りました。こちらも熱いのですが、なんとか入れます。やっと少し落ち着くことができ安心しました。部屋に戻ってTさんとビールで乾杯。この瞬間が温泉の醍醐味ですね。疲れが一気にふっ飛びました。

(つづく)

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東日本大震災に遭われた皆様に心よりお見舞申し上げます。
阪神・淡路大震災のときもそうでしたが、自然の猛威は時として、人類の想定をはるかに超えて襲ってきます。そして、さらに問題なのはこの自然災害によって、人間が作った原子力発電所が制御不能の状態に陥っていることです。

私どもが親しくさせて頂いている青木会計さんは、福島県の郡山にあります。今回の大地震で、3階建のビルの一面が崩壊し、事務所が剥き出しになってしまったため、現在場所を移して営業を続けているそうです。

私達の仕事は、お客様のところに伺い、会計記録の正確性を確かめ、適正な納税義務の実現を図るとともに、経営に有用な情報を提供することにあります。そのことを考えると、青木会計さんが業務を遂行してゆくことには、大変な困難が伴います。今しばらく、落ち着くまではとても仕事どころではないと思います。青木会計の皆さんのお気持ちを察すると、他人ごととは思えず暗澹たる気持ちになってしまいます。

そんな折、テレビを見ていましたら、私どものお客様が紹介されていました。伊豆高原にある「サンロード」というペット連れの宿です。被災された皆様とペットについては破格の料金で宿泊して頂き、今回の震災で受けた傷を癒して頂こうというものです。さっそく福島県から来て頂いたお客様がテレビに映っていましたが、ペットと一緒に泊めて頂いて本当に有難いと語っていました。

実は、私は「サンロード」さんに、震災後の3月18日に伺いました。世間話的に東日本大震災の話をしていたのですが、「サンロード」の社長は大真面目で震災に遭った人達とペットのお役に立ちたいということを私に話してくれました。

春休みの書き入れ時に、そんなことをしたら経営にとっては大打撃です。そのことが、喉元まで出ていたのですが、グッとのみ込みました。「そんなことは、わかっている」。そうです、そんなことは、わかっているのです。それでも、ペットを愛する人間としてできることをしてあげたい。社長のそういった気迫のようなものが感じられて、今は損得の話をしている場合ではないと思い知らされました。

翻って、私にできることはなんでしょうか。改めて考えてみると、それ程多くのことができる訳ではないことに気づきます。一つは、節電。自分が節電することによって、少しでも被災地の方々に電力を届けられれば幸いです。一人分の節電なんてたかが知れています。しかし、日本中、みんなが節電すれば、かなりの量が届けられるのではないでしょうか。

二つ目は義援金。職業団体で募っている義援金。街頭で募っている義援金。目にするたびに小額ですが寄付するようにしています。ニュースになるような、何億円、何千万円という寄付はできませんが、自分のできる範囲でしてゆこうと思っています。

(つづく)

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
私は退院して約1ヶ月が過ぎ少しずつですが仕事に復帰している最中です。

私は昨年12月暮れから、今年の4月いっぱいまで約4ヶ月間入院していましたが、その間、同室の人が少しずつ入れ替っています。

今回は、私が入院してから1ヶ月程後に入院してきた、H氏について書かせて頂きます。

私の退院日が決まったことを、H氏にお話しすると、H氏も6月末頃には退院できるということを教えてくれました。私は自分のことのように喜びました。H氏とは入院中いろんなことを話したこともあって、仲間のように思っていたからです。

「よかったですね。Hさん。僕も4月いっぱいで退院できそうです」といってお祝いの気持を伝えました。しかし、Hさんの表情はさえません。「どうかしましたか、Hさん。」気になってたずねると、Hさんは浮かない顔でこういいました。「いや、退院できるのはうれしいんだけど、退院しても仕事がなくてね。俺、ここに入院するときに仕事やめてきちゃってるから。」

「ええっ。ああ、そうだったんですか・・・。それは大変ですね。」と、とっさに言ってはみたものの次の言葉が出てきません。Hさんの年齢は正確にはわかりませんが、パッとみは50歳台後半です。言葉の端々からまだ働かなければならないという責任感がヒシヒシと伝わってきます。

しかし、現実は厳しいものです。確かに50歳台後半の男性に希望するような仕事があるかというと、現在の日本では首をかしげてしまいます。Hさんもそのことは充分わかっているのでしょう。「いえ、ぜいたくを言うつもりはありません。就職が厳しいこともわかっています。仕事があれば何でもやるつもりです。」と言ったあと、「森さんも何か心当たりがあったら、紹介してもらえませんでしょうか。ぜいたくは言いません。是非ともお願いします。」

私も正直言って、この職探しはかなり難しいだろうと思いました。しかし、Hさんは真剣です。Hさんから見れば年下の私にも頭を下げて、「お願いします。」と言うのです。きっと、色々なところに声をかけているのでしょう。そして、なかには「そんなの無理だよ!」などと簡単につき放されたりしているのでしょう。それでもHさんは色々なところに声をかけて、何とか職を探そうとしているのです。

(つづく)

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

私は、昨年末(12月30日)からの入院生活にやっとピリオドを打つことができ、5月1日に退院することができました(イェーイ。パン、パン、パン、パーン←お祝いのクラッカーの音です)。

入院中は、お忙しい中お見舞いに来て頂き、また、たくさんの方からお見舞を頂きました。とても勇気づけられました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、標題の件です。昔はこういういい方をしましたね。文法的には「テレビが来る」というのは誤まっています。そりゃそうですよね。テレビがのこのこ歩いてやって来るわけないんですから。しかし、当時小学校四年生だった私からすれば、「テレビが来る!」というのはピッタリな表現でした。いつものように、めいっぱい道草をして、夕食直前の叱られるか、叱られないか、ギリギリの時間帯に帰ってきたら、そいつは、すでに居間に来ていました。格子のタンスのような家具の中に鎮座まします立派なカラーテレビでした。すぐにさわろうとすると、母親から「手を洗ってからにしなさい」と言われたような気がします。

このカラーテレビが来て一番うれしかったのは、チャンネルの変換がリモコンでできるということです。家のテレビがまだ白黒だった頃、チャンネルは手で回していました(きっと今の若い人には想像できないでしょうね)。そして、そのチャンネルの接触がすぐに調子悪くなって、画像が「ザー」という音とともに見られなくなってしまうのです。

そうなってからが職人芸の見せどころです。チャンネルを前の局と次の局とのちょうどまん中あたりでとめるのです。こうすると微妙なバランスで画面がよく映るポイントがあるのです。そのポイントを探り当てるのは私と弟の仕事でした。テレビがリモコンになってからは、この職人芸は不要になってしまいました。少し寂しい気もしますが、その方がいいですよね。だって、せっかく見たい番組があっても、テレビの調子の関係で見られないんじゃ、寂しすぎますもんね。

昔話が長くなってしまいました。今回テレビが来るというのは、もちろん2011年7月に従来のアナログ放送が見られなくなることについて、森家で相当すったもんだしたあげくのことです。私としては、まだ家にあるテレビが見られるのだからギリギリまで待っていれば、品質もよくて、価額も安いモデルが出てくるからもっと待つべきだとの意見でした。

ウチの大蔵省もその意見には賛成で、情報収集に努めていました。そうこうしているうちに、今使っているテレビの電源が突然入らなくなってしまったのです。15年間もの酷使に耐えて天寿を全うしたのです。もうこうなったら、一日も待ってはいられません。なにしろ一日中テレビが見られないのですから。

(つづく)

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みなさん、こんにちは。随分、お久しぶりになってしまいました。
今回は森が書かせて頂きます。
まず、昨年末から現在まで体調不良で皆様に大変ご迷惑をおかけしております。
深くお詫び申し上げます。

現在も入院中ですが、今月(4月)からは、仕事のリハビリも兼ねて、少しずつ事務所に顔を出し、5月半ばくらいには退院できるよう、リハビリに励んで参ります。さて、今回は仕事仲間について書いてみます。私の場合、仕事仲間というと税理士の同僚と職場の仲間ということになります。

まず税理士の同僚について。

私は生来の不精者で、他の人の病気療養中にはほとんど「お見舞」に伺うということをしませんでした。ところが今回、何人もの方が私の「お見舞」に来てくれて大変有難く思っています。会って何を話すという訳でもないのですが、とりとめのないことをしばらくしゃべって、「じゃあ、森ちゃん。早く良くなってね!」と言っていただける。本当はとっても忙しい方々なのに、わざわざ時間を割いていらして頂ける。そういったことがとても有難いのです。

「仕事一筋で来た人間にとって、仕事をすることが出来ないということがどれだけ苦しいことか」
入院した今となっては、私にもよくわかります。しかし、入院したことのない人にはこの苦しさはなかなか理解できないと思います。では、「お見舞」に来てくれた方が全員、入院したことがある人々かというとそうでもないと思います。

もちろんなかにはご自身も入院経験があって「お見舞」に来て下さる方もいらっしゃるでしょう。しかし、一度も入院したことなどないという方も多いと思います。では、なぜ自らが一度も入院経験がないのに、お見舞に行こうという感情が湧き起こるのでしょうか。このことは、私にはよく分かりません。ただ、一ついえるのは、これらの人は損得抜きに、人の痛みを自らの痛みとすることができるすばらしい人達だということです。「仲間が病気で苦しんでいる」その痛みを自分自身の痛みとして感じることができる人達なのですね。

次に、職場の仲間について。
こちらは税理士の同僚と比べると微妙です。それこそ、朝・昼・晩と顔をつき合せて、自分の子供より会ってる時間が長い人達です。ある意味、家族と同じくらい信頼し合っている仲間です。そうなると、例えば自分が入院した場合、「当然、見舞に来るだろう!」という気持が湧き起こります。しかし、私共のような規模の事務所で全員が全員見舞に行くとなると仕事がおろそかになってしまう危惧が生じます。こうなるとお客様にも迷惑をかけてしまい、本末転倒です。このような場合には、社内である程度のルールを決めておく必要が出てきます。

私共の事務所の場合には、入院する場合は数人ずつまとめてお見舞に行き、その後はいかないというルールにしました。そんなことまでルール化するのかとお叱りを受けそうですが、こういったことはわりと細かいことまでルール化しておいた方が、後々のトラブルが少なくなります。「あの人のときには、みんなでお見舞に行ったのに、私のときにはさっぱり来ない」なんて言う人はいないだろうと思いますか?いやいや、そこまで考える必要は充分あると思います。 

(つづく)

道具

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
一年の経つのは早いもので、もう師走です。今年は暖かい日が多く十二月という感じがしませんが、それでも長年の習い性からかなんとはなしに気ぜわしく感じます。

さて、今回は道具というテーマで書かせて頂きます。
また釣りの話で恐縮ですが、先日釣りに行った時のことです。朝六時に出船し、ポイントに到着したところで、船長の合図とともに釣り開始となりました。

ご存知の方も多いと思いますが、釣りは「朝まづめ」、「夕まづめ」、といって日の出前後、日の入前後が一番釣れる時間帯です。朝六時に出船した私たちは、当然「朝まづめ」を狙うことになります。ここで一匹釣れるかどうかで、その日一日余裕を持って釣りができるかどうかという大事な時間帯です。

出船してからポイントに着くまでは、結構忙しく準備を整えます。それもこれも、この「朝まづめ」の時間帯にスムースに釣りをするためなのです。釣りをやったことのない方は、釣り人というと、ゆっくり流れる川辺で、こっくりこっくり居眠りしながら釣り糸を垂れている太公望を思い浮かべるかも知れません。しかしながら、現代の釣りはそのような悠長なものではありません。釣れる可能性の高い時間帯にすべての準備を整え、集中して釣るのです。その意味では、一瞬にして勝負が決まってしまう剣術や柔術に近いものがあるかも知れません。

まあ、そんなに恰好の良いものではないとしても、その日の第一投はかなり重要です。満を持して全員で仕掛けを投じました。

あれっ。一人だけ仕掛けが落下しない人がいます。おかしいなぁ。なんで仕掛けが落ちていかないんだろう。リールのスイッチが入らないのです。電源はつながっています。その証拠にリールのメーター表示は0mを示しています。しかし、何度押してもメインスイッチが入らないのです。

全身から油汗がふき出してくるのを感じます。実際、いやな予感はありました。今回、私は三ヶ月前に釣りに行って以来、忙しさにかまけて一度も道具の確認をせずにいきなり本番に望んでしまったのです。このことが釣りを始める前に気になってはいました。普段なら必ず、釣行前にリールをバッテリーにつないで動作を確認するのですが、今回はそれを怠っていました。

後悔の念がこみ上げてきますが、どうにもなりません。二十回程スイッチを押し続けましたがウンともスンともいいません。半ベソ状態で隣にいる釣り仲間のホリさんに、「リールのスイッチが入らないよぉ~」と助けを求めました。ホリさんも心配してくれて、「そおか。それじゃ手動に切り替えたら」とアドバイスをくれました。「そおだ。その手があった。」さっそく、手動に切り替えようとしましたが、手動に切り替えるレバーが見当りません。私のリールは、「SEABORG Z500FT ULTRA FREE」という最上級モデルでありますからして、もともと手動などという概念はないのでした。

予備のリールも持っていましたが、取り出してみると整備不良でとてもすぐに使える状態にありません。仕方なく船長に、「リール貸してもらえませんか」とお願いしてみました。やさしい船長は、「手動のリールならあるよ」といってくれましたが、今日の棚は30m~70mと比較的深い所を狙うので手動ではとても体力が持ちそうにありません。

情けないやら、悔しいやらで、「今日はもう釣りやめちゃおうか」という最悪の選択肢が脳裏をかすめました。気を取り直して、つないでいたコードを一度はずし、もう一度つなぎ直しました。それでもスイッチは入りません。しかし、いつもよりバッテリーのパワーが弱いように感じました。原因は、リールのスイッチの不具合だとばかり思っていましたが、もしかしたらバッテリーの充電が不充分なのかも知れません。天に祈るような気持で、船長にバッテリーを借り、もう一度つなぎ直してみました。その直後、今までウンともスンともいわなかったリールが突然息を吹き返したように反応してくれたのです。リールは見事に生き返ってくれたのです。

ああ、よかった。これで釣りができる。十数分の遅れをとった私は、その後まさに一所懸命に釣りに没頭したのでした。そのおかげで、50cmクラスのイナダ4本、マダイ2枚、大サバ2本とすばらしい釣果を上げることができたのでした。めでたし、めでたし。

って、これじゃ小学生の作文ですね。私の言いたいのはそんなことじゃないんです。道具です。道具。今回のことで、はっきり分かりました。私は道具に頼り切っているのです。しかも、ハイテク機器に。

みなさんも経験ありませんか?パソコンが動かなくなったこと。その時、ものすごくイライラしますよね。携帯電話を洗濯機で洗って壊してしまったことはありませんか?今まで蓄積した電話番号が全部パーになって、青ざめたこと。車が踏切でいきなりエンストを起こしたことはありませんか?何度キーを回してもエンジンがかからない恐怖を。

(つづき)

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
だいぶ寒くなってきました。インフルエンザは大丈夫でしょうか。
先日、医療関係の方とお話ししていたら、「新型インフルエンザかどうかは、熱が出てから12時間経過しなければ判らない」のだそうです。ですから、熱が出てすぐに病院に行っても、「結局、また来て下さい」となってしまうとのことでした。だとすると、熱が出てから12時間我慢してから行けばよいのですが、小さな子供ですと心配ですよね。何とかならないものでしょうか。

さて、先月中旬から今月初旬にかけて、私は大変忙しい状況にありました。
忙しいといっても、仕事ではなくプライベート、要するに遊びで忙しかったのです(ごめんなさい)。
10月10日、高校の同窓ゴルフ大会の幹事の打合せと称する飲み会、
10月11日、ゴルフ大会の景品集め、
10月13日、同景品集め、
10月19日、高校の後援会に関する研修(東京)、
10月21日、同窓ゴルフ大会、
10月23日、関与先のゴルフ大会、高校PTAの役員会兼懇親会、
10月24日、親戚の子の結婚お披露目、中学校時代のクラス会、
10月27日、高校後援会の委員会兼懇親会、
10月28日、中学時代の友人の追悼ゴルフその後偲ぶ会、
11月3日、地元神社の秋祭り。

お前は、いつ仕事してたんだとお叱りを受けそうなスケジュールでした。
しかも、この間に「ぎっくり腰」を1回患っていますので、10月23日のゴルフから11月3日の秋祭りまでは、全くの役立たずで、我ながら何をやっているのだろうと一人夜空を見上げて涙してしまいました(ウソです)。

ハードスケジュールをこなして冷静になって考えますに、私は何でもかんでも役職を安易に引き受けすぎているのではないかという疑念が持ち上がりました。頼まれると断れないというのは昔からの性分です。最近はそれでも、自分ではだいぶ控えているような心持ちでおりましたが、先日ある人から指摘されて「ハッ」としました。

それは、秋祭りが終わって一息ついていた時です。
友人から11月21日に高校同窓ゴルフ大会の反省ゴルフ会と反省会を幹事をやってくれた人を集めてとり行なうとの内容です。何かの大会をやったあと幹事で反省会をやるというのはよく聞く話ですが、ゴルフ大会のあと反省ゴルフ会をやるというのは、随分丁寧だなあとは私も思いました。そう思って逡巡している時に、すかさずある人から「その日は私が出掛けるからダメ」と指摘を受けたのです。

そして、その後数十分に渡って厳しい指摘を受けました。私の一番悪いところは、その場できちんと断らないであいまいな態度をとるということでした。その件について叱られている最中、別件で二点ほどの指摘を受けました。

一つは、今回やった中学校時代のクラス会は、本当は私が幹事だったはずであり、私がちっとも開催しないからしびれを切らして他の人がやってくれたのであり、私はその人たちに感謝しなければならないのであり、また、前回のときにあいまいな態度できっぱり断らないからそうなったのであり、ひとえに私の責任であるというご指摘。

もう一つは、秋祭りの最中に柏久保区の総務をやっているUさんがやって来て、「来年は横丁組(私が所属している組です)から総務を出してもらいたいんだけど・・・」と私とSさんに向かって話をした件について、あなたそんなことできると思ってんの?総務っていったら1年に100回は出なきゃならないのよ。できるわけないじゃん。だいたいあんたはいつでも、煮えきらない態度できっぱり断らないからそうなったのであり、ひとえに私の責任であるというご指摘。

いや、おっしゃるとおり。おっしゃるとおりでございます。
しかし、総務の話は、私に言ってきたのではなく、「横丁組から出してもらいたい」と言っているのであり、しかも、私だけにそのことを言ってきたのではなく、むしろ、Sさんに向かってUさんは話しているように私には感じられたのです。したがって、私がその場で「その話はお受けできません」などと横丁組を代表して答えられるはずもなく、「はぁ、そうですか」とあいまいな態度を取るしかなかったのです。      

(つづく)

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
やっと夏らしくなってきました。夏が暑いということは日本経済のためにはとっても良いことなのですが、個人的にはこのじめじめした暑さは何とかならないものかと思ってしまいます。

さて、最近みなさんは何かに「感動」しましたでしょうか。
こんなことを尋ねると、突然何を言うのだとお叱りを受けそうです。
私はどうかと言いますと、もちろん、してません。
いや、正確に言うと、何かに「感動」はしているのでしょうが、思い出せないのです。
年のせいでしょうか。

インターネットで「感動」について調べていたら、次のような調査結果が出ていました(注1)。それは、「1ヶ月に1回以上感動したことがある」という質問に対し、10代では50%、20代で48%となっているのに対し、50代で30%、60代で33%と年齢を追うに従って「感動」する頻度が下がってゆくというものです。この調査報告では、その理由を「経験が豊富になるにつれて、物事に対する期待レベルが高まり、それが満たされにくくなるということが考えられる(例えば、おいしいものを食べ慣れていると少々のものではそのおいしさに感動しなくなる等)」としています。

この考え方は、うなずける面があります。
私事になりますが、私共の三男は、現在高校一年生で寮生活を送っています。最近夏休みで家に帰ってきていますが、何を食べても、「うまい、うまい」といって食べてくれます。この光景は回りで見ていてもとても気持ちのいいものです。聞けば、寮の食事は半端でなく、「まずい」とのことです(寮の給食を作っている方々の名誉のために申し添えますと、1日200円で必要な栄養を摂取させなければならないため、「味」の方は致し方ないというのが実情だと思います)。寮に入る前はほとんど無言で食事をしていた子供が、寮の食事に慣れることによって、食事に対する期待レベルが下がり、何を食べても「おいしい」と感じるようになった訳です。

このように考えると、「感動」とは、自分が持っている「期待レベル」と体験したことのギャップであると言うことができます。もちろん、自分が持っている「期待レベル」よりも、その体験が下であれば、これは「感動」ではなく、「怒り」になってしまいます。年を取ると「怒り」っぽくなるというのは、年齢を重ねることによってさまざまなことに対する「期待レベル」が上がってしまっているからなのかも知れません。

期待レベルと体験とのギャップが感動を生む原因だとすると、感動しやすい体質(変な表現ですが・・・)を作るための方策が見えてきます。一つは、期待レベルを下げるということ。期待レベルを意識的に下げることが出来ればちょっとしたことにも感動しやすくなります。今は、死語になっているのかも知れませんが、昔は女子高生を指して「箸がころげてもおかしい年頃」などと称しました。まさに、何にでも感動できる年頃ということです。

では、どうしたら「期待レベル」を下げることができるのでしょうか。

一つには、先程紹介した私共の三男のような境遇に身を置くという方法があります。つまり、普段はなるべく文化的な生活とはかけ離れた生活を送るということです。無人島の一人暮らしのような生活を送ることができれば、たまに参加するパーティなどは感動の連続でしょう。

もう一つは、「当り前」、「当然」という言葉を使わないということです。自分の感覚、体験、常識に照らして「こうしてくれるのは当り前」、「こうなるのは当然のこと」という感覚から脱してゆくという方法です。コップに半分水が入っているのを見て、ある人は「なんだ半分しか入っていないのか」と嘆き、ある人は「ああうれしい、半分も水が入っている」と感謝する。要は自分の物の見方を固定しないというやり方です。

(つづく)                           

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みなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
最近の梅雨は雨の降り方が異常ですね。カラッと晴れているかと思えば、突然大粒の雨が降り出したりして。遠い昔に新婚旅行で行ったチェラチン・ビーチ(マレーシアです)のスコールを彷彿とさせます。あっちのスコールは、すごいですよ。雨粒が大きくて当たると痛たいんです。

さて、突然ですが、今回は世界遺産検定について書かせて頂きます。
先月28日に行われた世界遺産検定を受検するために横浜まで行って来ました。私が受験したのは3級と2級です。ちなみに世界遺産検定の各級は次のようなレベルになっています。

4級:小学校高学年・中学校レベル(2010年より実施予定)
3級:高校レベル(60問60分 マークシート方式 100点満点中60点以上で合格)
2級:大学入試レベル(同上、3級との併願が可能)
1級:大学講義レベル(90問90分 マークシート方式 200点満点中160点以上で合格)
マイスター:大学院入試レベル(秘密のベールに包まれている)

結果はどうだったのでしょうか。

3級は85点で合格(すばらしい)。
2級は53点で不合格(うぇ~ん)。

正式な結果は1ヶ月後に郵送で送られてくるのですが、試験終了後解答をくれるので、自分の問題用紙に書いた解答と照らし合わせると結果はすぐにわかります。しかし、こんなにすぐに結果がわかってしまうと少し寂しい気もします。税理士試験のように結果が出るまでに4ヶ月半も待たされるのは異常だとしても、即日わかってしまうのも風情がないなぁと思います。

何故こんなことをグチグチ書くのかといいますと、クヤシイのです。2級も受かると思っていたのです。過去問を解いた時には67点でしたから、まあ本番も受かるだろうくらいに軽く考えていました。ところがどっこい本試験では全く歯が立たないという感じです。53点というとあともうちょいみたいな感じがしますが、私はこういった試験においては勘がいい方なのです。実際、はっきりと正解だとわかったのは三分の一くらいです。あとは勘で正解しました。それで53点ですから、結構いい勘してるでしょ。

まあ、試験のことはこのくらいにして(ああ、クヤシイ)、私は何故世界遺産検定を受ける気になったのでしょうか。

一つには、「レバレッジ」シリーズを書いているビジネス書作家の本田直之さんが、著書の中で世界遺産検定のことを書いており、オシャレだなぁと思ったこと。二つめは、来春大学受験を控えているまん中の息子が観光系の学校に行きたいとの意向だったので、一緒に勉強できたらオシャレだなぁと思ったこと(これについては見事にフラれてしまい、一人寂しく受験するハメになってしまいました)。三つめは、歴史的な建造物が好きで、以前連れていってもらったブダペスト(ハンガリー)の街並みの荘厳さや、ホローケー(ハンガリー)の伝統的家屋の可愛らしさに驚かされたことから、今度どこかに行ったついでに好きな建物を見てこれたらオシャレだなぁと思ったためです。

試験のための勉強は、苦しい部分もありますが、結構楽しくもあります。テキストに写真がふんだんに載っていて見ているだけでも楽しいものです。逆に、写真がなくて文章の解説だけの項目は記憶に残りにくく苦痛です。それから、地理についても少しだけ詳しくなれます。アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンがどの位置にあるのかを知ったのは勉強の成果です。逆にバルカン半島にある国々やアフリカの国々の位置関係はいまだによくわかっていません。

さらに、各地域の歴史についても勉強になります。アウストラロピテクスから始まって、アルタミラ洞窟、クフ王のピラミッド、パルテノン神殿、レコンキスタ、ハンザ都市リューベック、ヴェルサイユ宮殿、タージマハル、アンコール・ワット、秦の始皇帝、チンギス・ハンなどなつかしい名称が目白押しです。逆に、コンマゲネ王国のアンティオコス1世、ガリアの総督アグリッパ、ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世、ナスル朝ムハマンド1世などといわれてもチンプン朝カンプン1世です。

自然遺産については、写真が特に有効です。その地域独特の景観や、そこに住む動植物の写真があれば楽しみながら勉強できます。逆に、写真なしで「ウァスカラン国立公園:熱帯に位置するなかで最も高い山岳地域、氷河と高山の美しい風景」などと解説されても全くどうしようもありません。さらに、こういうのが試験に出題されたりすると自暴自棄になってしまいます。

(つづく)